慎み深く過ごす時 占ひとレイキのhalu雪白舎 雪白怜

高校野球が甲子園球場で始まると夏だ!と思うけれど、また一方で夏も終盤だなと感じていたら今日は、はや立秋がやってきたらしい。
庭の朝顔も少し興ざめに見えてなんだかうら寂しい。
キュウリも疲弊して見えて、もう頑張らなくてもいいよというかんじがしたので、夕方庭を片付けはじめた。
朝顔の誘引のロープを切り、フェンスに絡まったキュウリを引き外した。
私の今年の夏はもう終わった。さっさともう次の季節へと走り始めている。
8月は、広島の平和式典からはじまり、長崎、そして終戦記念日、お盆。
どうしたって慎み深く過ごすことになってしまうだろう。
甲子園の野球でさえも何かの儀式のようにも見える。
マヤ暦の占いをしているわたくしは、やはりマヤに関するご本など読み、お勉強もし続けて行かなくっちゃなわけで、それは、果てしのないことのようにも感じるけれども、好きなことだから、とても楽しく嬉しくできている。
そして、今日の出会った言葉をここに…
『死者を祝福する』
(前略) 死者の祝日は、現代のセラピーより遥かに古い伝統であり、ものごとを違った光のもとにみることを教えてくれる。死者の日を祝うことは、自分自身の過去や、そこにいるすべての人たちを赦す、愛の行為である。あなたが賛美するのは、アルコール中毒の父親ではなく、彼の持つ不滅の魂である。人間であるという、そのことによって分かちあっている魂。賞賛するのは母親の厳格さや頑固さではなく、母親のうちに燃えていた炎、あらゆるいきものの内に燃える激しい霊的な炎である。 (中略) 祖先への気づかいを育むことであり、感情的なつながりや反感を越えて、人類全体の死者たちへの気づかいを育むことなのだ。これは、仏教でいわれる「慈悲」という言葉を通してしか、説明できない行為である。
マヤ・カレンダー「神聖暦」で占う ジャガーの智恵
ケネス・ジョンソン著 石原佳代子訳 より
墓参の前に伊雜宮にお参り
大地にたくましく張る根
清らかな空間
8月8日立秋宵 雪白怜でした
追伸 上の蓮の花は、二見の蘇民の山です。