どうしてお勉強をするのかしら? 雪白怜

なんで勉強とかするん〜?と、もし、誰かに聞かれたら、「自分の言葉で愛を表現するためさ。」と、答えよう。

学問、教養と、言われるものは、結局は愛を表現するための手段のひとつにすぎないのだった。

学ばなくても愛を表現できる人は、そのままでいいのだ。

わたくしたちは、ココに愛を表現するためにいるのだから。

自分自身を愛することを通じて、貴方を、あの方を、神様にただただ感謝したくなる気持ちを表すために、わたくしたちはお勉強しています。

わからなくなったら
思い出して。

たとえば…「聲は、歌うため、祝うため、癒しのためにあるのだ。」と、聞かされたら、心が救われる人がどれほどいるか?!

古来よりの秘訣をしれば、生きるのがどれほど楽になることか!

自分の良心から本当にそうだと、確信したり、ただ涙が流れて来る時は、本当に貴方に必要な言葉なのだ。

「あなたにとってまったく見知らぬ靈、名前すら聞いたことのない靈でありながら、あなたのために力になってあげたい一心で来てくれる靈が、大勢いるものです。
そういふ靈は、名乗りたがりませんし。見返りというものを一切期待しないものです。」

と、誰かが書いて
わたくしに、みせてくれている。

これもまた愛の表現だ。愛は、暖かい涙をわたくしに流させる。

そして、「人から愛されるただひとつの秘訣は、自分をよく見せないこと。」とも。

そうよね、わたくしたちは皆、生かされていて価値のある人間なのだから…!

アー、愛を表現しつづけるということは、人としての大いなる仕事であります。

  
 11月28日 心の命ずるままに動いてみたらスッキリ!な 雪白怜でした。

追伸  皆さんの愛の表現を見てみたいな。さぁ、自分自身の愛をあますことなく表現するために、今日もお勉強をいたしませう。(*^^*)
ヤッホー!